ぽんたの日記

子の引き渡し審判、離婚裁判、面会交流調停などの裁判記録

子どもが連れ去られたら

ここでは、子どもが配偶者に連れ去られた場合の連れ戻す方法について紹介します。

配偶者が無断で子どもを連れて別居してしまった、連れて出たら無断で連れ戻された等、色んな状況があると思います。

離婚を望まないのであれば、話合いによる解決が一番と思います。ただ、子どもの連れ去りをする関係になってしまっている以上、相当根気がいる事を覚悟してください。何故こうなってしまったのか、相手を責めるのではなく、相手を尊重しながら、お互いにある問題点と向き合えば何とかなるのではと思います。

私の場合は、旦那が私を支配下に置きたいが為の連れ去りでした。この様な支配欲による連れ去りは、離婚する方がいいと思います。支配は子供にまで及びます。依存から抜け出し自立するチャンスと思い、戦いましょう。先ずは、ご自身の意思をしっかり持つようにしてください。

下記に紹介する方法は、離婚前提で連れ戻す方法になります。

Ⅰ. 自力救済

奪われたので奪い返す方法です。
倫理観が問われますが、これが一番手っ取り早い方法です。
奪い返したとしても夫婦である以上は共同親権なので誘拐罪には当てはまらず、警察が動くことは難しいでしょう。ただの夫婦喧嘩であることを思いっきり主張してください。
ただし、DV案件の場合は警察も動きますので、DV認定されてないか注意が必要です。また、既に離婚調停などで裁判所を利用している場合は、違法行為となるかもしれませんのでご注意を。
相手方が子の引き渡し審判を申し立ててくることになると思いますので、日ごろから育児に積極的に参加し、一人になっても問題なく監護出来るようにしておきましょう。
裁判所を頼ると本当に時間が掛かります。今思えば連れ去り当日にでも強引に奪い返せば良かったと思います。

Ⅱ. 裁判所に仲裁してもらう

自力救済が無理なら、速やかに裁判所へ申し立てを行いましょう。
離婚よりも、先ずは子供を取り戻す事を優先しましょう。自分で解決出来るなんて思わない方がいいです。話し合いにならず、時間ばかりが過ぎることになります。しかも、子供の衣類や食べ物を送ってしまった日には、連れ去りを認めた、なんて言いかねません。さっさと連絡を遮断し、全てを弁護士に任せましょう。そもそも話し合いが出来る関係なら、連れ去りなんて手段を選ばないと思います。申し立てが遅くなればなるほど、現状維持の法則が適応になり、取り戻すことが難しくなります。

私は弁護士を探してからの申し立てだったので、申し立てまでに2週間掛かってしまいました。申し立ては自分でも出来るので、申し立てておいて弁護士を探すのも有りだと思います。
本人だけでも進めることは出来ますが、弁護士がいた方が何かと安心感があります。また、最後まで戦うことになりそうなら弁護士をつけた方がいいと思います。連れ戻しの最後の手段である人身保護請求は、基本弁護士でなければ行えません。

1.子の引き渡し審判監護権指定の審判審判前の保全処分の申し立て

相手方管轄の家庭裁判所に上記3点の申し立てを行います。
保全処分とは、緊急性が問われる際の審判前の仮の決定です。保全処分と審判の決定が覆される事はほぼないため、保全処分の決定が審判の決定と考え、全力を尽くしましょう。
申立書には、連れ去りが違法性があることの立証やこれまでの監護状況、実績などを主張します。
相手方の所在地に申し立てるため、行方が分からない場合は必死に探すしかありません。

申し立てから1週間以内に裁判所より連絡があり、第1回の期日が設けられます。保全処分は、緊急性が問われるため、通常の審理よりも短期間の2週間間隔で審理が行われます。その間、双方で準備書面や答弁書を提出しお互いの主張を出し合います。間で調査官による自宅訪問が行われ、その調査書もあわせて審理を行います。双方の主張が出揃った頃に本人尋問が行われ、その後結審となります。

私の場合は、申し立てから2ヶ月で結審しました。裁判所への出廷は2回でした。第2回期日の時に、いきなり本人尋問が行われて、驚いたのを覚えています。裁判所へ提出した書面は、申立書を含めて私が4回、旦那が6回でした。

2.子の引き渡しが認められたら(強制執行)

直ぐに引き渡し交渉を行います。併せて、強制執行の申し立てを地方裁判所へ申し立てます。
相手方は、結審から2週間以内に高等裁判所への即時抗告が認められていますが、保全処分の強制執行期限も2週間と定められていますので、決定を待たずに急いで申し立てましょう。期間内に相手方が引き渡しに応じた場合は、子どもが手元に戻った段階で強制執行の申し立てを取り下げましょう。

強制執行は、基本的に相手方の自宅で行われます。以前は、道端などで強制的に引き離したそうですが、今は説得ベースの強制執行になっているそうです。なので、説得に応じない場合や執行期間中に逃げて不在にしてしまった場合は、執行不能で終わります。お金ばかりかかりますが、子供のためです。やれることはやりつくしましょう。
私の場合は、執行官2人に鍵屋1人で15万円支払いましたが、不履行に終わったこともあり、差額が12万円弱戻ってきました。その後、弁護士費用として10万円持っていかれましたけどね。

3.即時抗告対策

相手方が即時抗告してきたら高等裁判所にて再審理されます。抗告審は、書面審理のため、出廷はありません。相手方より抗告理由書が提出され、それに対して反論の必要があれば書面の提出を求められます。家裁での判断に問題がなければ、反論書面の提出もなく棄却されます。新しい証拠などがなければ家裁の決定が覆る事はないため、特に対策はありません。
待つ身は辛いですが、ここはあまり心配せずに過ごしていいと思います。この間は、子供を受け入れる準備をして心を落ち着けましょう。

高裁の決定に対しても、不服申し立てが可能(期限は5日間)です。しかし、最高裁判所は、憲法違反を審理する場所なので、ほぼ覆ることはないでしょう。嫌がらせで抗告してくるかもしれませんが、じっと耐えて待つしかありません。

強制執行が不能の場合は、人身保護請求を申し立てます。

4.人身保護請求

人身保護請求は、呼出に応じなかった場合に裁判所が身柄を拘束することができ、かつ、裁判所に従わなかった場合には刑事罰(最高で懲役刑が課せられます)もある、極めて強力な手続であり、どんなにこじれる事案でも、人身保護請求により解決するケースがほとんどのようです。

子供を巡る争いの場合、監護権を持たない者が、監護者の同意を得ずに子の身体を拘束する行為は、不当な拘束となり人身保護請求の対象となります。つまり、子の引渡しの仮処分や審判に従わない場合も、不当な拘束と解釈され、人身保護請求の対象であると判断されます。

この申し立ては、管轄の地裁か高裁となります。
人身保護請求は弁護士しか行えないようなので、ここにたどり着くまでに弁護士を見つけておきましょう。

申し立てから1週間以内に審問期日が決定され、審問終了から5日以内に判断が下されるのが基本的な流れです。請求から数日で人身保護命令による命令書が送達され、1週間後には拘束者と子が裁判所に出頭することになります。

私は、最高裁、人身保護請求まで覚悟していましたが、旦那はそこまでバカではなかったようです。流石に刑事罰がつけば、医師免許も取り上げられる可能性がありますし、自分は大事なのでしよう。

Ⅲ. 最後に

私のように密室で起きた連れ去りの場合は、違法性を証明できるかがカギになります。わざわざ私が家にいる時間を選んで突入してきたのは、違法性を問われないための相手の戦略だったと推測します。しかし、私が連れ去り当日に警察へ記録を残したこと、ラインで連れ戻す様に再三交渉する記録を残したことで、連れ去りが不合意だった事を立証出来たと思っています。連れ去られて何もしてなかったなら、裁判所で合意の上と押しきられていたでしょう。記録はとても大事です。出来れば第3者の証明がいいですが、日記でも何でもいいので、しっかり残しておきましょう。

夫婦喧嘩に裁判所を利用するなんてと躊躇するかもしれませんが、ご自身で説得できる相手でないなら、仲裁を頼む他ありません。なるべく早い判断を。

連れ去られ期間中は、メンタルを保つ事がとても大変です。寝ても覚めても同じことばかり考えるので、狂いそうになります。長期戦になるので、睡眠薬に頼ってでも眠るようにし、色んな友達に愚痴りながらご飯を食べて体力をつけるようにしましょう。プライベート過ぎる話題で話づらいなら、職場のカウンセリングや心療内科のカウンセリング、女性支援センターなどのカウンセリングを利用し、とにかく吐き出すようにすると良いと思います。沢山泣いてください。我慢しないでください。

どうか納得のいく結論が出ますにように。
参考にしてみてください。

手続からみた子の引渡し・面会交流

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子どもの連れ去り問題?日本の司法が親子を引き裂く (平凡社新書)

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子の連れ去り~翌日~

連れ去りから一夜が明けた。
ほぼ一睡もせずに朝になった。
アドレナリン全開のため寝られる訳もない。
子供を取り返したい一心で、無い頭をフルに使って、どうすればいいか考えた。

保育園の園長先生に報告と相談へ行った。
園長先生は行政に状況を報告してくれて、暫く登園がないが状況を見守って欲しいとお願いしてくれた。

昨晩の女性相談の相談員さんに、その後の状況報告を行った。
昨日話しきれなかった事を全て話した。
ただひたすら話を聞いてくれて、同調してくれた。
涙で嗚咽し話せなくなる時も、静かに待ってくれた。
今後何をしていったらいいか詳細に教えて頂いた。
とても有難い存在だった。

自分の管轄の警察署へも相談に行った。
警備を強めてもらい、何かあったらいつでも電話出来る体制を整えた。

合間にパンパンに張ったおっぱいを手で搾った。
虚しくて涙が出た。
手では出し切れないので、搾乳器を買いに走った。
切ない。
虚しい。
昨日までの温もりが今はもうない。
殺風景な部屋に一人。
寂しい。
悲しい。
会いたい。
狂いそうだった。

立ち止まったらダメだと思い、動けるだけ動いた。
やるべき事は沢山あった。
洗濯機と冷蔵庫の修理の予約を入れた。
旦那へのコンタクトも継続していた。

そうしてまた長い夜がやって来るのだった。

子の連れ去り~当日(3)~

交番に着いたが誰の姿もなかった。

「只今の時間は不在のため○○警察署へ電話してください」との貼り紙があった。

緊張しながら電話を手にした。

子供が旦那に連れ去られた、子供に会えないで困っている、と簡単に説明する。
署で話を伺うので、これから迎えに行きますとの返答だった。
警察の方が迎えに来るまで、頭の中を整理していた。

シルバーのトヨタ車で男性と女性の警察官がやって来た。
軽く自己紹介し車に乗り込んだ。
警察官二人は前の座席に座り、私は後部座席に座った。
窓の外の知らない街並みを眺めていた。

ものの数分で警察署へ着き、長テーブルにパイプ椅子が並んだ殺風景な部屋へ案内された。
迎えに来てくれた男性警察官が主だって話を聞いてくれた。若い警察官は、一生懸命話を書き留めていた。女性警察官も暫く一緒にいてくれたが、最後までいたかは記憶が曖昧だ。途中で年配の警察官も輪に加わり、指示を出していた。

私の主張は、同意無く旦那が子供を連れ去ったため取り返して欲しい、である。

それに対して警察は、夫婦である以上、親権はどちらにもあり、虐待がない限りは警察が動くことは難しい。ただ、状況を確認しに行く事は可能である、とのことだった。
途中、何度か虐待の有無について確認された。

そして旦那に電話したり、旦那の両親に電話したりと警察からの接触を試みた。

旦那からの反応は皆無だったが、旦那の両親からはラインが返ってきた。

~以下、原文まま~
○○さんよ、自分の今までの言動を振り返って物を言いなさいよ❗

今すぐその場を離れ、二度と息子、孫に近付くな❗

警告だよ❗

これは息子からの依頼だからね。国外から電話しても通じなかったからメールしたけど、いつまでも仏様の気持ちで居られるほど心が広く無いことだけは明らかにしておくよ❗
この売女(バイタ)め.

今すぐその場を離れ、他人の生活の安寧に干渉しないように警告する次第。
~以上~

警告?!息子からの依頼?!

またまた頭が真っ白になった。

この親にしてこの子あり、とは正にこのこと。旦那の親の対応は信じられなかった。
後にネットで調べていて辿り着いたが、これはどうやら「火病」と言うらしく、韓国人に特有の気質らしいと知った。もう3世代日本で暮らしているのに、遺伝子とは凄いものである。

電話で連絡がつかないため、旦那の自宅へ出向いて安否確認をしてくれることになった。それだけしか出来ないとのこと。
それでもとお願いした。

1度は警察官のみで向かったが、応答なく空振りで戻ってきた。
今度は鍵を持つ私も動向することなった。
また連れてこられた時と同じ車で旦那の家へ向かう。住宅街なので周りの住人に配慮しサイレン等は鳴らさなかった。

警察官 : 「○○さーん!警察です。開けてください!!○○さーん!」

旦那 : 無言で玄関を開ける(チェーンはしたまま)。

警察官 : 「○○さんですか?」

旦那 : 「はい、そうですが。」

警察官 : 「奥さんより依頼がありました。お子さんはいますか?お子さんの安否確認をさせてください。」

旦那 : 無言で子供を連れてくる。

警察官 : 「○○ちゃん。怪我はないかな。元気そうかな。」とチェーンごしに子供を確認する。

警察官 : 「ご協力ありがとうございました。」

チェーンごしに子供の安否を確認した。
子供は夜中の2時頃にも関わらず寝ておらず、また泣きもしていなかった。
警察官の話だと、寝てなさそうだったし、眠れなさそうだったとのこと。

警察の方は色々尽くしてくれたが、もしかしたら戻ってくるかもと淡い思いがあり、大いにガッカリした。何も出来ない自分にもガッカリした。

また警察署へ戻り、これ以上は何も出来ないので、弁護士に相談するしかないと説明を受け、兄妹の迎えで家へ帰った。

警察署へ来たのが10時過ぎ、時計は3時をとっくに過ぎていた。
長い1日が終わった。
絶望の日々の始まりでもあった。

子の連れ去り~当日(2)~

子供を連れて行かれてから、暫く呆然としていた。

1時間位経っただろうか、兄妹に電話し助けを求めた。
結局どうしていいか結論は出なかった。

その日は丁度女子会が予定されていた。
一人では旦那の行動が理解出来そうにないため、誰かに話したいと思い、気力を振り絞って出掛けることにした。

集まった友人たちに一部始終を打ち明けて、どうしたらいいか尋ねた。
結論として、直ぐに相手方の居場所へ出向くことになった。
警察へ通報する案もあったが、その時はそこまでするべきか悩み、また通報した場合の相手からの逆恨みが恐く、行動に移せなかった。

友人に少し元気を分けて貰った後、直ぐに移動し旦那の家へ向かった。

辿り着いた先で暫く恐怖との葛藤が続き、呼鈴を押せずにウロウロしていた。
やっとの思いで呼鈴を押したが、反応がない。玄関もチェーンが掛かっていて開かなかった。
旦那は電話にも出ず沈黙を続けた。

また呆然となった。

もう夜に差し掛かっていた。
子供が心配だった。引き離されて6時間は過ぎた。
授乳は3時間毎。まだおっぱいが必要な乳児が、母親から引き離され、知らない部屋で安心出来ずに過ごしているのかと思うと胸が張り裂けそうになった。段々とおっぱいも張ってくる。

しかし、戸は閉ざされたままであった。

困り果てた私は、女性相談窓口に電話してみた。
そこでも警察へ相談することを提案された。が、この時もまだ迷いがあった。

次に実父に相談した。
警察は民事不介入だから行っても意味がないと思うが、相談記録を残しておくべきと後押しされ、やっと警察へ行くことを決心した。

この時の私は混乱の為か110番を思い付かず、最寄りの交番を必死で検索し、徒歩20分掛けて駅前の交番へ出向いのだった。

~続く~

子の連れ去り~当日(1)~

忘れもしない2016年5月の土曜日午前10時半。

前日に義母と電話していて、旦那と連絡が取れず行方知れずであることを報告していた。
私は、こんな場合は勝手にすればいいと放置するのだが、義母は違った。職場に出勤しているか確認しに行った方がいいと言うのだ。
義母がそう言うならと、子供に離乳食を与えて、出かける準備をしている最中だった。

いきなり玄関の鍵が開く音がした。

私は、「あ、心の葛藤が終わって戻ってきたんだ」と呑気に構えており、
「おかえり~」と普段通りに声を掛けた。

旦那は入ってくるなり相当の剣幕で、

「お前はそんな女だったのか!!」
「売女め!汚い!(子供に)触るな!」
「お前に子供は任せられない!」
「離婚する!子供は連れていく!」

と捲し立てながら、離乳食を食べている子供を抱き抱え、私から子供を引き離した。

意味が分からず、呆気に取られた。

それでも構わず、ボイスレコーダーを再生し始めた。
そこには私と母親との電話の会話が録音されていた。
そして、予め準備していたらしい資料(会話を文章に落としたもの)を読みあげ始めた。
私が汚い女である証拠を提示し、ぐうの音も言わさないつもりの様だった。

勝手に会話を盗聴されていたことにショックを受けた私は、言葉を失った。

続いて、冷蔵庫と洗濯機の電源コードをニッパーで切断していった。

暴走する旦那に、もう恐怖しかなかった。

状況が理解出来ない私は、子供を連れて行かれる事だけは理解し、止めてくれ連れて行かないでくれと泣き叫んで懇願していた。

頭が真っ白になった私は、義母に電話していた。義母が止めてくれると願いを込めて。
しかし、義母は止める様制することもなく旦那の話をうんうんと聞くだけで、私には「すぐに(そっちへ)行くから」とだけ言って電話を切った。

それなら力ずくでと子供を奪い返そうとしたが、子供が泣いたので躊躇って、手を引っ込めてしまった。

成す術を無くし呆然とする私を余所に、旦那は着々と子供の荷物をまとめて出ていってしまった。


このやり取りは、この後、連れ去りを納得した、してない、で揉める事となる。

~続く~

子どもの連れ去り問題?日本の司法が親子を引き裂く (平凡社新書)

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連れ去り前

離婚訴訟は進行中の案件のため、子の引き渡し審判についても少しずつ書いていきたいと思います。


先ずは、子の連れ去り前の状況を簡単に説明します。

婚姻前にすったもんだありましたが、旦那の強い希望もあり、子供のためと自分を納得させて2016年4月に婚姻届を提出しました。これがこれから続く戦いの始まりとなりました。

そもそも婚姻を見込んでいなかったため、居を別に構えており、旦那は、仕事の都合上、火曜日~水曜日を自分の家で過ごし、木曜日~月曜日までを私の家で過ごす生活を続けていました。

婚姻関係になってからは、義務が生じた事に安心したのか、直ぐに旦那の主張が強くなり始めました。
セックスを拒めば離婚理由になると脅し、日常の些細な事に苦言を言えば激昂する始末。週に1度は喧嘩を吹っ掛けられ、先が思いやられた矢先でした。

連れ去り1週間前、セックス拒否から喧嘩になり、旦那は私の家に戻らなくなりました。頭を冷ます時間も必要と私は彼を放置し、子供と二人で日常を過ごしていました。何度か連絡はしてみましたが、なしのつぶてでした。

そして事件当日を迎えるのでした。

第1回 離婚裁判

6月前半に離婚訴訟の第1回期日が行われました。

私は、弁護士より尋問までは代理人のみの出席でいいと言われていたため出席せず。職場も人手不足のため、いつも子供の病気で休みを頂く事が多い私は更に休みづらく、そちらの方が有り難かった。

ところが、相手方の答弁書を呼んだ弁護士が、裁判期日前日に電話待機を依頼してきた。というのも、相手方に離婚の意思がありそうなので、和解に向けての次回期日の調整を行うかもしれないから、と言う話だった。
「マジっすか?!明日ですよ!!」と思いながら、上司に相談し、昼休みを10時からに早めてもらい、電話待機することにした。


そして当日、10時10分に電話があり、次回期日の予定を確認される。

弁護士 : 「相手方に離婚の意思があり、協議離婚でも構わないとの確認が取れたため、裁判官から早急に協議を進めましょうと提案がありました。急ですが、来週の水曜日午後に出廷可能ですか?」

私 : 「え!来週ですか?急すぎて…水曜日は忙しい日なので難しいかと…えっと、他に候補日はありますか?」

弁護士が裁判官とやり取りをする声が聞こえる。
弁護士 : 「20日の10時からは?」

私 : うーん、20日は子供の健康診断なんだよな~。
「あ!19日は如何でしょうか?丁度、調停もあり有給を取ってあるので、1日空いています。」

また弁護士と裁判官のやり取りが聞こえる。相手方にも確認している様子。

弁護士 : 「それでは、19日10時でお願いします。またメールで本日の結果を連絡します。」

やり取りはほんの5分程度で終了した。

その後、弁護士から報告のメールが入った。
内容は、相手方に離婚の意思があること、協議離婚に応じること、お金を返せと答弁書に書いたが本当に返せと言っているのではなく気持ちを伝えたかっただけとのこと、と言った内容だった。

案外あっさり離婚出来そうな事に安堵した反面、本当に協議出来るのか不安が過る。答弁書を読む限り双方の意見は全く異なるし、話し合いが出来ない相手なので、結局判決になりそうな予感がする。そうなると準備書面が必要なのかな?取り敢えず、次回は準備書面不要とのことでした。

ちなみに和解に向けての協議になると、当事者の出廷が必要になるとのこと。やっぱり休み取らなくちゃいけないのね(*_*)

そしてこの週末は面会交流です。忙しいのぅ。