ぽんたの日記

子の引き渡し審判、離婚裁判、面会交流調停などの裁判記録

面会交流の憂鬱

最近更新出来ておりませんm(__)m

面会交流の件で、鬱々していて心療内科に通ってみたり、第3者機関に相談したりと旧態依然しております。

相手方の要求は簡単です。
「自分の好きな時に自分が満足するだけ会わせろ」に尽きます。
そして日程調整のやり取りの中で、義務だの権利だの主張して、無理やり権利施行しようとしてきます。

父親に会うのは子供の権利だし、父親だって子供に会いたい。
それは十二分に理解しています。

問題はやり方です。
いつだって脅迫まがいのやり方で我を通します。勿論私は納得はしていないが、渋々承諾する。
まるで韓国の慰安婦問題のよう。巨額の資金を受け取って解決したはずなのに、今も銅像を建てたり賠償金を請求し続ける有り様。1度認めたら、ずるずると搾取し続ける。これは国民レベルで浸透した気質なのだろうか。儒教の思想がそうさせるのだろうか。政治や韓流ドラマなんかをみていると、なんだか個人の性格ではない気がする今日この頃。

さて、面会交流の憂鬱について。

おそらく多くの離婚親が直面する憂鬱なのであろう。監護親の憂鬱、非監護親の憂鬱、いずれも立場であっても憂鬱は伴う。
子供を主体にと考えようとするが、我らの場合は、子供がまだ2歳。この場合は、子供主体といっても、どうしても監護親が判断せざるを得ない。
子供は、漸く人見知りを初めたばかり。遅い人見知りは、連れ去りの影響と思っている。なぜなら、手元に戻ってきた我が子は、全く人見知りをせず、常にニコニコする良い子ちゃんになっていた。なかなか泣かない赤ちゃん。そうしてでも順応せざるを得なかったのだろう。それを理解できない元旦那に腹が立つ。自分を押し付ける元旦那に子供を気遣えると思えない。
彼は未だに、連れ去りではない、妻が嘘をついている、と思い込んでいる。

連れ去りを正当化し、子供への負担を考えられない父親
自分のために働かない道を選んだ父親
韓国での離婚の手続きすらしてくれず、連れ去りの恐怖心に配慮すら出来ない元旦那。

もっと会わせて欲しいと願うなら、連れ去りを認めて謝罪をし、子供の将来のためにも働き、子供に働く事を教えて欲しい。
そう願うのは可笑しいのだろうか?
元旦那の話を聞いていると、そうとさえ思える。
吐き気がする。

今日も動悸と不安と嫌悪感と、心の葛藤は続く。