ぽんたの日記

子の引き渡し審判、離婚裁判、面会交流調停などの裁判記録

子の連れ去り~当日(3)~

交番に着いたが誰の姿もなかった。

「只今の時間は不在のため○○警察署へ電話してください」との貼り紙があった。

緊張しながら電話を手にした。

子供が旦那に連れ去られた、子供に会えないで困っている、と簡単に説明する。
署で話を伺うので、これから迎えに行きますとの返答だった。
警察の方が迎えに来るまで、頭の中を整理していた。

シルバーのトヨタ車で男性と女性の警察官がやって来た。
軽く自己紹介し車に乗り込んだ。
警察官二人は前の座席に座り、私は後部座席に座った。
窓の外の知らない街並みを眺めていた。

ものの数分で警察署へ着き、長テーブルにパイプ椅子が並んだ殺風景な部屋へ案内された。
迎えに来てくれた男性警察官が主だって話を聞いてくれた。若い警察官は、一生懸命話を書き留めていた。女性警察官も暫く一緒にいてくれたが、最後までいたかは記憶が曖昧だ。途中で年配の警察官も輪に加わり、指示を出していた。

私の主張は、同意無く旦那が子供を連れ去ったため取り返して欲しい、である。

それに対して警察は、夫婦である以上、親権はどちらにもあり、虐待がない限りは警察が動くことは難しい。ただ、状況を確認しに行く事は可能である、とのことだった。
途中、何度か虐待の有無について確認された。

そして旦那に電話したり、旦那の両親に電話したりと警察からの接触を試みた。

旦那からの反応は皆無だったが、旦那の両親からはラインが返ってきた。

~以下、原文まま~
○○さんよ、自分の今までの言動を振り返って物を言いなさいよ❗

今すぐその場を離れ、二度と息子、孫に近付くな❗

警告だよ❗

これは息子からの依頼だからね。国外から電話しても通じなかったからメールしたけど、いつまでも仏様の気持ちで居られるほど心が広く無いことだけは明らかにしておくよ❗
この売女(バイタ)め.

今すぐその場を離れ、他人の生活の安寧に干渉しないように警告する次第。
~以上~

警告?!息子からの依頼?!

またまた頭が真っ白になった。

この親にしてこの子あり、とは正にこのこと。旦那の親の対応は信じられなかった。
後にネットで調べていて辿り着いたが、これはどうやら「火病」と言うらしく、韓国人に特有の気質らしいと知った。もう3世代日本で暮らしているのに、遺伝子とは凄いものである。

電話で連絡がつかないため、旦那の自宅へ出向いて安否確認をしてくれることになった。それだけしか出来ないとのこと。
それでもとお願いした。

1度は警察官のみで向かったが、応答なく空振りで戻ってきた。
今度は鍵を持つ私も動向することなった。
また連れてこられた時と同じ車で旦那の家へ向かう。住宅街なので周りの住人に配慮しサイレン等は鳴らさなかった。

警察官 : 「○○さーん!警察です。開けてください!!○○さーん!」

旦那 : 無言で玄関を開ける(チェーンはしたまま)。

警察官 : 「○○さんですか?」

旦那 : 「はい、そうですが。」

警察官 : 「奥さんより依頼がありました。お子さんはいますか?お子さんの安否確認をさせてください。」

旦那 : 無言で子供を連れてくる。

警察官 : 「○○ちゃん。怪我はないかな。元気そうかな。」とチェーンごしに子供を確認する。

警察官 : 「ご協力ありがとうございました。」

チェーンごしに子供の安否を確認した。
子供は夜中の2時頃にも関わらず寝ておらず、また泣きもしていなかった。
警察官の話だと、寝てなさそうだったし、眠れなさそうだったとのこと。

警察の方は色々尽くしてくれたが、もしかしたら戻ってくるかもと淡い思いがあり、大いにガッカリした。何も出来ない自分にもガッカリした。

また警察署へ戻り、これ以上は何も出来ないので、弁護士に相談するしかないと説明を受け、兄妹の迎えで家へ帰った。

警察署へ来たのが10時過ぎ、時計は3時をとっくに過ぎていた。
長い1日が終わった。
絶望の日々の始まりでもあった。

子の連れ去り~当日(2)~

子供を連れて行かれてから、暫く呆然としていた。

1時間位経っただろうか、兄妹に電話し助けを求めた。
結局どうしていいか結論は出なかった。

その日は丁度女子会が予定されていた。
一人では旦那の行動が理解出来そうにないため、誰かに話したいと思い、気力を振り絞って出掛けることにした。

集まった友人たちに一部始終を打ち明けて、どうしたらいいか尋ねた。
結論として、直ぐに相手方の居場所へ出向くことになった。
警察へ通報する案もあったが、その時はそこまでするべきか悩み、また通報した場合の相手からの逆恨みが恐く、行動に移せなかった。

友人に少し元気を分けて貰った後、直ぐに移動し旦那の家へ向かった。

辿り着いた先で暫く恐怖との葛藤が続き、呼鈴を押せずにウロウロしていた。
やっとの思いで呼鈴を押したが、反応がない。玄関もチェーンが掛かっていて開かなかった。
旦那は電話にも出ず沈黙を続けた。

また呆然となった。

もう夜に差し掛かっていた。
子供が心配だった。引き離されて6時間は過ぎた。
授乳は3時間毎。まだおっぱいが必要な乳児が、母親から引き離され、知らない部屋で安心出来ずに過ごしているのかと思うと胸が張り裂けそうになった。段々とおっぱいも張ってくる。

しかし、戸は閉ざされたままであった。

困り果てた私は、女性相談窓口に電話してみた。
そこでも警察へ相談することを提案された。が、この時もまだ迷いがあった。

次に実父に相談した。
警察は民事不介入だから行っても意味がないと思うが、相談記録を残しておくべきと後押しされ、やっと警察へ行くことを決心した。

この時の私は混乱の為か110番を思い付かず、最寄りの交番を必死で検索し、徒歩20分掛けて駅前の交番へ出向いのだった。

~続く~

子の連れ去り~当日(1)~

忘れもしない2016年5月の土曜日午前10時半。

前日に義母と電話していて、旦那と連絡が取れず行方知れずであることを報告していた。
私は、こんな場合は勝手にすればいいと放置するのだが、義母は違った。職場に出勤しているか確認しに行った方がいいと言うのだ。
義母がそう言うならと、子供に離乳食を与えて、出かける準備をしている最中だった。

いきなり玄関の鍵が開く音がした。

私は、「あ、心の葛藤が終わって戻ってきたんだ」と呑気に構えており、
「おかえり~」と普段通りに声を掛けた。

旦那は入ってくるなり相当の剣幕で、

「お前はそんな女だったのか!!」
「売女め!汚い!(子供に)触るな!」
「お前に子供は任せられない!」
「離婚する!子供は連れていく!」

と捲し立てながら、離乳食を食べている子供を抱き抱え、私から子供を引き離した。

意味が分からず、呆気に取られた。

それでも構わず、ボイスレコーダーを再生し始めた。
そこには私と母親との電話の会話が録音されていた。
そして、予め準備していたらしい資料(会話を文章に落としたもの)を読みあげ始めた。
私が汚い女である証拠を提示し、ぐうの音も言わさないつもりの様だった。

勝手に会話を盗聴されていたことにショックを受けた私は、言葉を失った。

続いて、冷蔵庫と洗濯機の電源コードをニッパーで切断していった。

暴走する旦那に、もう恐怖しかなかった。

状況が理解出来ない私は、子供を連れて行かれる事だけは理解し、止めてくれ連れて行かないでくれと泣き叫んで懇願していた。

頭が真っ白になった私は、義母に電話していた。義母が止めてくれると願いを込めて。
しかし、義母は止める様制することもなく旦那の話をうんうんと聞くだけで、私には「すぐに(そっちへ)行くから」とだけ言って電話を切った。

それなら力ずくでと子供を奪い返そうとしたが、子供が泣いたので躊躇って、手を引っ込めてしまった。

成す術を無くし呆然とする私を余所に、旦那は着々と子供の荷物をまとめて出ていってしまった。


このやり取りは、この後、連れ去りを納得した、してない、で揉める事となる。

~続く~

子どもの連れ去り問題?日本の司法が親子を引き裂く (平凡社新書)

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連れ去り前

離婚訴訟は進行中の案件のため、子の引き渡し審判についても少しずつ書いていきたいと思います。


先ずは、子の連れ去り前の状況を簡単に説明します。

婚姻前にすったもんだありましたが、旦那の強い希望もあり、子供のためと自分を納得させて2016年4月に婚姻届を提出しました。これがこれから続く戦いの始まりとなりました。

そもそも婚姻を見込んでいなかったため、居を別に構えており、旦那は、仕事の都合上、火曜日~水曜日を自分の家で過ごし、木曜日~月曜日までを私の家で過ごす生活を続けていました。

婚姻関係になってからは、義務が生じた事に安心したのか、直ぐに旦那の主張が強くなり始めました。
セックスを拒めば離婚理由になると脅し、日常の些細な事に苦言を言えば激昂する始末。週に1度は喧嘩を吹っ掛けられ、先が思いやられた矢先でした。

連れ去り1週間前、セックス拒否から喧嘩になり、旦那は私の家に戻らなくなりました。頭を冷ます時間も必要と私は彼を放置し、子供と二人で日常を過ごしていました。何度か連絡はしてみましたが、なしのつぶてでした。

そして事件当日を迎えるのでした。

第1回 離婚裁判

6月前半に離婚訴訟の第1回期日が行われました。

私は、弁護士より尋問までは代理人のみの出席でいいと言われていたため出席せず。職場も人手不足のため、いつも子供の病気で休みを頂く事が多い私は更に休みづらく、そちらの方が有り難かった。

ところが、相手方の答弁書を呼んだ弁護士が、裁判期日前日に電話待機を依頼してきた。というのも、相手方に離婚の意思がありそうなので、和解に向けての次回期日の調整を行うかもしれないから、と言う話だった。
「マジっすか?!明日ですよ!!」と思いながら、上司に相談し、昼休みを10時からに早めてもらい、電話待機することにした。


そして当日、10時10分に電話があり、次回期日の予定を確認される。

弁護士 : 「相手方に離婚の意思があり、協議離婚でも構わないとの確認が取れたため、裁判官から早急に協議を進めましょうと提案がありました。急ですが、来週の水曜日午後に出廷可能ですか?」

私 : 「え!来週ですか?急すぎて…水曜日は忙しい日なので難しいかと…えっと、他に候補日はありますか?」

弁護士が裁判官とやり取りをする声が聞こえる。
弁護士 : 「20日の10時からは?」

私 : うーん、20日は子供の健康診断なんだよな~。
「あ!19日は如何でしょうか?丁度、調停もあり有給を取ってあるので、1日空いています。」

また弁護士と裁判官のやり取りが聞こえる。相手方にも確認している様子。

弁護士 : 「それでは、19日10時でお願いします。またメールで本日の結果を連絡します。」

やり取りはほんの5分程度で終了した。

その後、弁護士から報告のメールが入った。
内容は、相手方に離婚の意思があること、協議離婚に応じること、お金を返せと答弁書に書いたが本当に返せと言っているのではなく気持ちを伝えたかっただけとのこと、と言った内容だった。

案外あっさり離婚出来そうな事に安堵した反面、本当に協議出来るのか不安が過る。答弁書を読む限り双方の意見は全く異なるし、話し合いが出来ない相手なので、結局判決になりそうな予感がする。そうなると準備書面が必要なのかな?取り敢えず、次回は準備書面不要とのことでした。

ちなみに和解に向けての協議になると、当事者の出廷が必要になるとのこと。やっぱり休み取らなくちゃいけないのね(*_*)

そしてこの週末は面会交流です。忙しいのぅ。

離婚裁判 答弁書(1)届く

第1回の離婚訴訟の2日前に相手方から答弁書が届きました。

どうやら相手方に弁護士はついていなさそうです。自分で色々調べて書いた事が伺える答弁書19枚と添付資料19枚。流石、フリーターは暇人┐('~`;)┌

チラ見して心が落ち着かなくなったので、1日放置。そして前日にじっくり読んでみました。やっぱり心乱され、とても子供に笑顔で接する事が出来ません(T_T)

内容は、以下の通り。
1. 離婚する
2. 親権は裁判所が判断してくれ
3. 養育費は換算表に従う
4. 面会交流は可能な限り
5. 慰謝料なし
6. 金返せ(総額420万円)

おお!!離婚するんじゃんヽ(*´▽)ノ♪それならそうと調停の際に言えばいいのに、何て人騒がせな。
一見まともな主張に見えますが、簡単にまとめると離婚するが金は払わん、だけど金はくれ、と言ってます。

答弁書には、稚拙、幼稚、虚偽、悪質、拝金主義、愚か、理論破綻などの言葉が目立ちます。私に向けられていた、売女、バカか、小学校からやり直せ、と言った言葉を裁判所向けに少し柔らか目に変えたみたいです。

私に対しては未練が無くなったかな、と読み取れます。そこは良かったかな(*´-`)

しかしまぁ、離婚訴訟なのに、どうでもいい交際期間を、オレは悪くないんだ、悪いのはあっちだ、とネチネチ書き連ねられるものです。お互い様と言う事を知らないのだろうか。

そして既に確定している子の引き渡し審判の判決にも虚偽を主張し、いちゃもんをつけています。相手方の性格として、自分の思惑通りにならない事は、全ていちゃもんの対象で、そのいちゃもんは永遠に続きます。韓流なので。

答弁書の内容に一つ疑問が!
「私の怒りや悲しみの感情から無責任に逃げていた」という一文です。これは離婚理由の一つにされているのですが、この文章の意味が分かりません??自己に存在する感情は他人にぶつけるものなのでしょうか?私は、自分の感情は自分で処理するものと考えているため、全く理解出来ません。


さて、裁判所はどう出るのでしょう?1回目にして和解勧告?
正直、私は、判決にて全てを解決したいです。答弁書を読み、意見の違いを実感し、相手方との協議なんてムリに等しいと再確認しました。

次は裁判1回目の進捗を書きたいと思いますφ(..)

離婚します!

これから離婚したい私としたくない旦那との戦いが始まります。

~家族構成~
私 : アラフォーの会社員
旦那 : 年下のドクター
子供 : 1人


~これまでの経過~
200?年 出会い
20??年 破局×2回
2015年 未婚のまま出産
2016年4月 婚姻届提出
2016年5月 旦那による子供の連れ去り
2016年8月 子の引き渡し審判と保全処分結審
2017年3月 離婚調停不成立
2017年5月 面会交流の中止日の振替希望の調停
2017年6月 第1回離婚裁判


何だかんだで知り合って10年以上、婚姻期間1年、同居は1度もしたことがありません。
そう言えば、遠い昔に4年くらい同棲しました。

思った以上に複雑な関係になってしまい、これから離婚裁判が始まります。
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これまで流され過ごした人生の罰なのか、意思に反してどんどん強くなってしまって、可愛げがなくなっていく自分が寂しいです。

果たして離婚出来るのか、それとも離婚出来ずに婚姻費用2万円ポッキリのギリギリ生活が続くのか。
このブログでは、裁判の記録を主に残していきたいと思います。
宜しくお願いします。